監訳者まえがき

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監訳者まえがき
「アジャイルソフトウェア開発の概要はわかったので、具体的な事例を知りたい」

アジャイル開発をテーマにした講演や研修に出かけていくと、この質問によく出会います。さまざまな立場の人たちと長らくこの問答を続けることで、わかってきたことがあります。それは、ひとくちに「事例」といっても、質問者が知りたいことは「プロジェクト実績」や「実際に起こった個々の出来事」に留まらないということです。この問いに込められている、質問者が本当に知りたいことを私なりに書き下せば次のような感じです。

  • 日々のソフトウェア開発の現場で、
  • 実際に起きる個々の出来事について、
  • アジャイル開発の知識を踏まえたうえで、
  • 自分は都度、どのような意思決定を下していけばよいのか?

この質問の核心は「未体験のことへの不安」だと私は捉えています。リーン原則は開発プロセスについてのメンタルモデルであり、カンバンはワークフローの設計ツールです。スクラムはあくまで開発プロセスのフレームワークでしかなく、XPはソフトウェアの本性に根差した開発プロセスのあり様を物語るための語彙と言葉づかいの体系です。ソフトウェア開発がアジャイルであるということは、プロセスとプロダクト、そしてそこに関わる人々が現場でどれだけいきいきとしているかの度合いでしかありません。誰もあなたの現場でのあなたの悩みには答えてくれないのです。

古来から、人はこうした不安と付き合うために物語を活用してきました。物語を通じて出来事を追体験することで、物事への対処の仕方を学ぶのです。本書の第I部「僕らのやり方を伝えよう」は著者ヘンリックの物語です。そこでは彼が実際に携わったプロジェクトでの奮戦が語られます。しかもその事例は、スウェーデンの国家警察機関での長期にわたる60 人規模の全国展開されるシステム、いわゆる公共系案件です(よくある質問:「規模の大きなプロジェクトをどうアジャイルにしていけば?」)。

ヘンリックの物語を読み通して、安心する読者もいるでしょう(よくある質問:「自分たちなりにアジャイル手法を実践しているが、このやり方で合っているのだろうか?」)。一方、がっかりする方もいるかもしれません。結局のところ、自分たちの現場での取り組みの答は、自分たちで出すしかないからです。とはいえ、それぞれの判断はただ現場の状況に反応しているだけではありません。一つひとつの決定はしっかりと「リーン原則」で支えられています。まあそれも、乱暴にまとめれば「たゆまぬ学びと改善が肝要」となるのですが、ヘンリックも言うように「ルールがシンプルだからといってゲームが簡単なわけではない」のです。追体験のための物語だけでは足りません。自分の現場に応用していくためには理論やツールも大切です。

そこで第II部「テクニックを詳しく見る」では知識と現場で使えるツールが紹介されます。なかでも第17章「アジャイルとリーンの概要」は、アジャイルマニフェスト起草から10年を生き抜いたアジャイル開発プロセスの状況を、見事な手際でまとめています。続いて紹介されるテスト自動化の戦略やプランニングポーカー、因果関係図も実の現場感のあるチョイスです(私も使った経験があります)。

このように理論と実践のバランスにすぐれた書き手による著作を翻訳するにあたり、今回は市谷聡啓さんと藤原大さんにお願いしました。二人はJim Coplienの「学びとは、ただ知ることではない。知識は頭の中のものだが、学びとは手の中にあって、熱意によって行動に移されるんだ」というフレーズを体現するアジャイル開発実践者です。このチームでの成果を日本の読者の手に届けられることにわくわくしています。

また日本語版では、理解をさらに深めるために、訳者陣によるヘンリックのカンバンの運用をまとめた付録C「本書のプロジェクトボードについて」と、平鍋健児さんによる「日本語版解説」を追加しました。いまや日本のみならず世界でもリーン開発の第一人者となった氏によるリーン開発の解説は、日本語版独自の読みどころのひとつとなりました。

不安と向き合い、装備を固めて現場の最前線(Trenches)に戻ってからが皆さんの腕の見せどころです。本書はそのお役に立てる一冊になるだろうと自負しています。最後までお楽しみください。

2013年10月
株式会社永和システムマネジメント
角谷信太郎

この記事は『リーン開発の現場』の「監訳者まえがき」の全文と同様の内容です。このページの文書のライセンスは  CC BY-SA 2.1 JPになります。

監訳者まえがき” への1件のコメント
  1. kakutani より:

    Jim Coplienの言葉の引用元は『SCRUM BOOT CAMP THE BOOK』の巻頭の「刊行によせて」が元ネタなので、興味がありましたらそちらもぜひ(私も僭越ながらコメントを寄せております) http://www.amazon.co.jp/dp/B00DIM6BMI

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